愛は「平和」ではない。愛は「戦い」である。 ―「愛と誠」より― 11月も半ばのとある昼休み。流川と花道は珍しく二人で屋上へ来ていた。 風の冷たさがふと冬の到来を感じさせる、そんな季節。どんよりとした曇り空は、しぼれそうなほどの湿気と、そしてかすかな静電気を含んでいるようだった。遠くに雷の気配。 だがこんな天気も決して嫌いではない。誰も屋上に上ってこようとはせず、二人きりになれるのがいい。そう、流川は思った。 天気のいい日には花道をとりまく桜木軍団にこの場所と花道は奪い取られてしまうのだ。 「降りそうだな」 パンの袋をガサガサと開けながら、特に気にするふうでもなく花道が言った。屋内のスポーツであるバスケットに、天気は関係ないのだ。 「こんなトコに呼び出して、なんなんだよ、テメー」 フェンスにおっかかってパンを食べながら、花道は少し拗ねたように言った。 流川と二人きりでいるところをどうにも人に知られたくないようだった。 そう、二人の関係は、今のトコ誰にも秘密だ。付き合い始めてから後も、皆の前では二人は相変わらず仲の悪いふうを装っている。バスケとなればお互い容赦はないので、そうすることも別に二人にとって不自然なことではなかったが。 「好きなヤツと一緒にいてーと思ってワリいのか」 言ってやると、「バッカヤロ」と赤くなってそっぽを向いた。 「話なんか、部活の後でもいいじゃねーかヨ」 ぶつぶつといいつのる。 それが困難だから呼び出したのではないか、と流川は口に出さずに思った。 最近、二人きりになれる時間が、まるっきりと言っていいほどない。 花道がリハビリから帰ってきてからというもの、バスケ部の部員達は妙に張り切りはじめ、今までは特に努力しなくても手に入れていた二人きりの時間(居残り)が邪魔されるようになってきたのだ。 みんな、残ってる。(爆) 花道を早く元に戻してやりたいという異様な使命感と、そして冬の選抜に向け、再び全国を目指すために、まるでバスケ部員全員が断固たる決意をしているようだった。 流川も顔負け、鬼気迫るといった感じだ。 居残り後でさえ、二人っきりの時間なんてとてもじゃないが取れやしない。 下校時さえ、邪魔なやつらがわらわらと花道を取り巻いている。メシ、おごってやろーかだの、背中の具合は大丈夫かだの、鬱陶しいことこの上ない。 リハビリ中に告っておいてよかった…と流川は心の底から思った。 あの日、夕暮れの海で告白し、花道は「はい」と返事をした。ムードにのまれていたのか、それとも流川の異様な気迫に押されたのか、そんなことは知ったこっちゃない。とにかく今、自分たちは晴れて恋人同士なのである。 流川は灰色の風景の中、たった一つの奇跡のように鮮やかに揺れる赤い髪を愛しそうに見つめた。 早く、もっと深い仲になりたい。 付き合ってはいるものの、まだキスまでの関係の二人。すぐにでも次のステップにすすみたいのに…。 流川は手を伸ばし、花道の口の端に付いているパンくずをそっと指でぬぐった。 「や、やめろよ!ガキじゃねーんだ」 花道はあせったように軽く流川の手をはらった。 この恋人は、つれなすぎる。 「―そうだ。話って、なんだよ」 花道はちょっと流川から後頭さって距離を置いた。 「来週の日曜…」 言いかけると、花道はすぐさまぴくっと反応し、右手の人差し指を振りながらわざとらしくあーあーあーと言った。 「16日だろ?チュウの誕生日なんだ。みんなで集まることになっててよ」 …あっさりと言ってくれるぜ。流川はあからさまに、ガクッと頭を垂れた。 その日は、久しぶりに練習がないというのに。 せっかくの、二人きりになれるチャンスだというのに。 「あ、あの?キツネくん…?」 花道が冗談交じりにさりげなくかわそうとしているのが分かる。 問題がここにも一つ。 友情にかなり厚い花道は、部活以外の時間をできるだけ友人達と過ごすようにしている。 1日の大半は授業とバスケで占められ、寝る間も惜しむほどの生活を送る中、たまのオフくらい、気の置けない仲間たちと過ごしたい…というのが花道の主張だった。 てめーとはバスケしてる間、いつも一緒にいるじゃねえか、と。 そう、いつも一緒だ。ただし邪魔なオマケも山ほどいるじゃねーか。 しかも花道は何だかんだ理由をつけて自分をアパートの部屋には上げてくれない。友人連中がいつ押しかけてくるか分からない、と言うのだ。 家に来いと誘うと、「ご家族の方に迷惑ですから…」などとヤンキーらしくない気遣いをし、結局来てくれない。しかし、家に誰も居ないときなどそうそうない。 流川は唸った。 いったいいつ二人きりになれるのだ。そいつらに、一言来るなと言ってくれたら。 「…てめえ、オレとそいつらとどっちが大事なんだ」 うつむいたまま、地を這うような声で流川は言った。 「はあ?なにドラマみてーなこと言ってんだよ、てめえ」 花道はとぼけている。 「ざけんな…」 流川も我慢の限界が近かった。 「…どあほう。てめえ、焦らしてんのか。いいかげんヤラせ…」 「ぐああ!それ以上言うんじゃねえ!!言ったらぶっ殺ス!!」 花道は本気で睨みつけてきた。…冗談じゃねえ。前なら体をはったコミュニケーションも花道となら大歓迎だったが、想いが通じてなかった頃とは違うのだ。 今はそんなことがしたいわけではない。 「……………」 流川はやり場のないもどかしさにフェンスを握り締め、ふうっとため息をついて、コンクリートの床を見つめた。花道が置いたパンの袋が風でかさかさと揺れているのがよりいっそうわびしさをそそる。 「てめえは、いったいどうしたいんだ?」 流川は長い前髪をかきあげていった。…邪魔だ。いっそ坊主にしちまうか。 「オレと、友達ごっこがしてーのか」 「ごっこっだぁ?」 花道は少し怒ったように言った。 「けっ!大体てめーはなぁ、友情の大切さってもんが分からねえんだ。友達いねーもんな。オレにとってはすっげー大事なもんだ」 トモダチの話なんかじゃない。そんな話がしたいんじゃないというのに。 「トモダチか」 流川は苛立ちながら言った。どうしてこう話がずれてしまうのか。 「ンなもん、クソの役にも立ちゃしねえ」 吐き捨てた。 「ぐあっ!!性格最悪!オレは洋平にケツ拭いてもらったことなんかねーぞ!」 花道はぐあああっと頭をかかえた。 「どあほう…」 流川はまたため息をつく。 「だから、そういう話じゃねえ。てめーはどうしたいのかって聞いてんだ…」 自分の語彙のなさに途方にくれながら、流川は言った。 じっと花道を見つめると、追い詰められたような目で見返してくる。わずかな沈黙。 「…そうだな」 だが、ふっと思いついたように言った。 琥珀色の瞳が何事かをたくらんでいるように瞬く。神託を告げるようにおごそかに、その唇が開かれた。 「大体、てめーはトモダチってもんがいねえ。だから、オレに執着しすぎんだ」 執着するのは好きだからだ。別に友人がいないからではない。 だが、流川は黙って聞いていた。 「…もし、てめえに、親友っつうもんが出来て。その大切さが分かったら…。そしたら、やらせてやってもいいぜ」 流川は眉をわずかに上げた。なにを言い出すかと思ったら。いたずらな子供のような無邪気さで、ありえもしないことを言うのか、てめえは。 もう一度フェンスをぐっと握り締める。 花道も流川から立ち上った怒りの気配に、気付いたようだった。ぐっと身構える。 花道は冗談でいったのだろう。だが、こんなに必死な自分の思いをはぐらかされたことが、流川には許せなかった。 「…わかった」 静かに言うと、「へ?」と花道はすっとんきょうな声を上げた。 「…親友を、作ればいいんだな?」 「あ、ああ」 花道の戸惑ったような声をよそに、流川は屈み込み、カサカサ揺れているパンの袋をつかんだ。ぐしゃっとそれを握りつぶす。 大事なことがすり違えられている。 だが、いい。「それ」をクリアすればいいと花道が言っているのだ。 やってやろうじゃねえか。 「その言葉、忘れんな…」 自分の声が、地の底から響いてくるもののような気がする。花道は思わずぎくっとしたようだった。だが、すかさず負けるもんかと睨み返してきた。 まるで最初の出会いの時と同じように、二人は向かい合い、睨みあった。 「ああ、忘れねーよ。男に二言はねえ」 流川は花道の言葉に、無言で頷いた。 そのまま後ろを向き、振り返らずに出口へと向かう。 (どあほうが…) 自分の気持ちをまったく分かってくれない恋人に苛立だちながら、流川は乱暴にドアを開けた。 遠くの空で、とうとう最初の稲妻がぴかっと光った。 流川が出て行くのを見送って花道は急に力が抜け、フェンスにおっかかった。 ヤツの背中が異様な闘志に燃えていたのを見せ付けられて、花道はさっき口にしたことをちょっとだけ後悔した。 「まさかな…」 そうつぶやいて、光りだした遠くの空を見つめる。 そして、流川の真っ直ぐな瞳を思い出す。 ―怒っていた。 はぐらかしたのは確かに自分が悪いと思っている。だが、どうしようもなかったのだ。 性急に求めてくる流川に、どう対処していいのか分からない。 …どうせ、いつかは押し切られてしまうに決まってる、そんな予感は花道にもあった。 でもやっぱり。そんな関係になってしまうにはまだ覚悟ができていないのだ。 (ついこないだまで、殴り合いの喧嘩してたんだぜ、オレたち) 急に抱き合えってほうがムリだろう? 今だってキスするだけで心臓がドキドキと波打ち、体中が震えだしそうになっているのだ。 その黒い、真っ直ぐな瞳で見つめられるたび、背筋にゾクゾクしたものが走る。 最近では、何故かそばにいるだけで緊張してしまう、そんな自分を必死で隠していることを、流川に知られたくはなかった。 流川に捕らえられて、流されて、そして、そして…、抱かれて。 そんなことになったら、いったい自分はどうなってしまうのか。 想像に震えそうになる自分を戒めるため、花道はぶんぶんと首を振った。 こんなのは対等ではない。オレはあんな庶民より強いはずだ。 (あんなヤツが怖いなんて、そんなのは絶対に許せねえ…) 花道は灰色の空を見据えて考え続けた。 震えるのは怖いからではない。それくらい本当は恋しているのだということにまったく気付いていない花道だった。なんせ男と付き合うなんて初めてなのだ。この動悸が恐怖と恋愛のどちらに起因するものか、区別できなくても仕方ないだろう。 (オレ、天才じゃねーのかも) 花道はちょっと涙ぐみそうになりながら、嵐の来そうな空を見つめた。 |